心理学の交流分析理論とは


人と接するとき、私たちは心のほんの断片で接するのではありません。
私たちの心全体のあり方が反映されるのです。
このために、人との接し方とは、ある特定の場面での、ある特定の行動だけにとどまるものではありません。
その人の生活のあり方全体とかかわるのです。

たとえば、人と接することが楽しくてしかたのない人は、臆することなく自分の生活の範囲を広げます。
逆に人と接することを苦痛に感じる人は、狭い範囲の人とだけ接しようとして、生活の範囲も狭くなってしまいます。

人生を生きることとは、それぞれの時期にそれぞれの人と接することにほかなりません。
そのため、人との接し方は、結局、その人がどのような人生を送るかということさえも決めてしまうものなのです。

この事実をもっとも明確に解明してきたのが、E・バーンが中心となって発展させてきた交流分析という理論です。
交流分析的に結論を先に言ってしまえば、人と接するのが苦痛な人とは、肯定的なストロークが不足し、しばしばゲームにふけり、敗者としての人生を生きている人だということになります。

交流分析理論によれば、私たちの心はPACという3つの部分から構成されています。
PとはParentsの頭文字で、意識的無意識的に親から受け継いだ心の部分です。
AはAdultの頭文字で成人としての心を表し、CはChildで子供のままに残っている心のことです。


PACのP

この心は「養育的な親」と「批判的な親」との2つの部分に分けられます。

「養育的な親」とは、庇護したり、世話をしたりする親の部分です。
この心が強いと、人の世話をしたり、人から頼られたりすることを好むことになります。

「批判的な親」というのは、監視的・支配的な親の部分です。
これが強いと、人を誉めるよりも責める傾向が強く出ます。

通常、親は子供に保護的に接します。
したがって、保護的な心の動きがPの典型的なものです。
しかし、親はそれぞれ個性や未熟な心の部分を持っているので、こうした心も知らず知らずのうちに子供の心に受け継がれます。

PACのA

これは、現実の問題に合理的、客観的に対処する心です。
すなわち、情報を収集し、理性的に判断する機能がその典型です。
この心が形成されないと、自立した適応的な社会生活ができません。
しかし、あまりにこの心が強すぎると、なにごとにも心動かされない、面白みのない人柄になってしまいます。


PACのC

一般に、この心は「自由な子供」と「適応した子供」との2つに分けられます。

「自由な子供」とは、素直な子供心がそのまま残ったものです。
無邪気さや甘え、感情の率直な表明、気分の変わりやすさなどが典型的なものです。
本能的道徳などに縛られない心で、しばしば創造的の基礎ともなりますが、自己中心性などの特性も持っています。

「適応した子供」というのは、親の期待などに添おうとする子供の心です。
この「いい子」が過ぎると、自由な子供の心を抑圧してしまうことになります。

人はすべて、このPACの3種の心を持っています。
しかし、人によりその比重が異なり、これが個性の違いとなって現れるのです。

たとえば、Pの養育的な親が優勢な人は、面倒見がよいとか、Aの心が優勢な人は、冷静沈着であったり、Cの自由な子供が優勢な人は、ものごとに素直に感動したり、依存的であったりします。

自分の心をPACの観点から分析してみることは有効です。
それによって、理解できなかった自分の行動傾向が明らかになり、その原因を突きとめることも可能になるからです。


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